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2013年3月17日日曜日

ことばと<伴像>

3月11日の夜、
Rainy Day Bookstore&Cafeに朗読劇『銀河鉄道の夜』を聴きに行った。

公演後半の、
さらなる、そして見事な変身を遂げていた朗読劇、
古川日出男さんの脚本、
賢治/小説家、詩人、音楽家、翻訳家四人の出演による朗読劇は
まずは濃密、繊細、かつ天上的な余韻を楽しむに留めておいて
前半について少し書きたいことがある。

前半。

上のほうが螺旋になっているらしい階段の、もう少し降りればフロアというあたりの段で
詩人が『島の水、島の火』から数片を読み、
つぎに同じあたりで
翻訳家が短編小説、「Wind Eyes」を読んだ。

階段の向かって右側には白い壁があって
詩人と翻訳家がことばを発するあいだじゅうずっと
その壁に映像、動画が投影されていた。

破壊的な波におそわれた跡の残る、
しかし部分的には無事なところもあるためにか
乱暴に無神経にこう言ってよければ、どこか遺跡とも通じる何かを感じずにいられない建物、
なぎ倒されたままの白いガードレール、
見慣れないふうに列の乱れたテトラポット、
埠頭、
雪の積もった川べり、
そこを歩き、目撃し、強い風に襟まきをあおられ、段をのぼり、
メモを書きつけ、雪に倒れ、歩き、見つめて(おそらく音を採取しても)いたのは
小説家と、音楽家。
(ことばを用いない)小説家と、(歌わず音も奏でない)音楽家の映像だけ。

詩人が手にしていたのは、2011年の秋分の日に刊行された詩集。
翻訳家が読んだのは、おばけ窓を一緒に探して遊んでいるうちに妹が「消えて」しまった少年の話。

詩人が読んだ詩すべてが、壁スクリーンに映し出される土地に結びつくものではなく
翻訳家が読んだのは、まったく別の土地の話。

でも、円と直線が、ただ一点で接するときの関係のように
映像とことばが、ふっと接する瞬間があり、どきっとする。


たとえば、少年は
ぼくがそんなことを口にしなければ妹は消えてしまわなかったかもしれないと悔やみ
妹が存在したことを知っているのは世界にぼくしかいないから
誰にも信じてもらえなくても自分だけは妹が「いた」と信じつづけた。


朗読する読み手の、そのすぐ隣に映像が流されて、
しかもその両者が独立し、完結していたので、正直なところ初めは戸惑った。
どちらに意識の焦点を当てればいいのだろう?
ことば?映像?
もしも、映像の代わりに音楽が流れていたら、私はほぼ確実に、
音楽を伴奏と捉え、背景に流れるものとして捉え、格別に戸惑いもしなかっただろう。
でも、それは何故?どうして音楽なら「聞き流す」ことができて、
映像はそれができないのか?
いや、ことばと共にある音楽を自分はほんとうに「聞き流して」いるのか?

聴きながら、見ながら、さらに自問自答していると、もうほんとうに間に合わない。
考えるのはやめて、聴き、そして見ることに集中した。

少しずつ、ことばと映像に同時に焦点をあてるような、
そうすることによって二次元のものから三次元を立ち上げる立体視のようなやり方が
つかめてきたように思えた。

ことばに寄り添う、伴奏ならぬ<伴像>。
ことばと映像の関係が
「ことばを映像によってわかりやすく視覚化する」ものでも、
「映っているものを言語として解説する」ものでもないとき、
(そしてもちろん、まったくの異種の寄せ集めではないとき)
聞き手/観客が、相当の努力を迫られる類の、
でもその甲斐のあるような、何かが生じうるのだと感じた。

あの夜は、想像力をつかさどる筋肉が筋肉痛になったみたいだった。
と言って、あの感覚をうまくことばに置き換えられているのか、まったく自信はないが。


2012年9月16日日曜日

ぷてぃんてたはどこにいる?

三年ぶりにやっと会えたヒメナは、また新たな作品を刊行していて、 
そして今や、ふたりの女の子のお母さんだった。

ルシーアは幼稚園に通い始めたばかりで、
部屋を案内してくれたり、踊ってみせてくれたり、ぴょんぴょん跳ねたり、何とも活発。

おしゃべりざかりなのだけれど、
まだ舌足らずで、
"s"や "r"の発音が難しいらしく、"t"で代用している。
プリンセサ[おひめさま]は、ぷてぃんてた。

"t"の音だらけのスペイン語は、私にとっては暗号のようで
ルシーアのおはなしを"聞き解く" には
状況の文脈と、かのじょの仕草をじっくり見る必要があった。


いっぽうのイサベルは、ようやくつかまりだちができるぐらい。

ヒメナが "?Dónde está Isabel?"(イサベルはどこにいる?)と優しく言うと、
イサベルはちいさな両手を顔に寄せ、「いない、いない」のしぐさをする。

"?Dónde está?" と、再びヒメナ。
イサベルの手は、まだ顔のあたりにある。

そして、ぱっとどける。
"!Ahí está!"  そこにいる!と、ヒメナ。
イサベルの顔が、ぱあっと明るくなる。



ヒメナの新刊は、こんどは小説ではなく童話。
メキシコの神話と現代メキシコの現実を重ねあわせ、
こどもたちが生き抜く知恵をそっとささやいて教えるような作品らしい。
何ということか、手に入れそびれて帰って来てしまった!

2012年7月4日水曜日

多言語化

二度の留学でお世話になったメキシコ国立自治大学(UNAM)の
ホームページの、メイン画面に
いつのまにか言語変換オプションが加わっているのを見つけた。

メキシコの第一言語であるスペイン語(メキシコ国旗のアイコンで示されている)のほかに
英語、フランス語、ドイツ語、日本語、中国語、ポルトガル語が選べる。

これらの言語で閲覧できるページは、今のところまだ限られた数しかないが、
それでも、画期的だと思う。



2012年5月18日金曜日

フエンテスと声

今月12日に亡くなったメキシコの小説家カルロス・フエンテスの
生前のインタビュー映像が、
グレゴリー・サンブラーノ先生のblogで紹介されている。

http://gregoryzambrano.wordpress.com/

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=mm2WBEqViUI#!
始まって5分ぐらいのところで彼が発したことばに、耳が反応した。

カーソルを動かし、気になった部分を繰り返して聞くと、彼は次のようにいっている。

Una novela tiene que ser fiel a sí misma.
En la medida en que lo es, defiende los dos grandes valores de la literatura,
que son la lengua y la imaginación.

小説(小説というジャンルla novelaではなく、
ひとつひとつの作品としての小説 una novela)は
自分自身に対して誠実でなくてはならない。

自身に対して誠実であるとき、小説は、
文学のもつ二つの偉大な価値を擁護することになる。
その価値とは、ことば(lenguaje)、そして、想像力(imaginación)。


---
フエンテスの声を聞きながら、
内容から離れて思ったのは、

彼自身の声(の録音)を、わたし自身が「じかに」
(=翻訳や通訳という、第三者の思考の介入なしに)聴き取り、
そこからあれこれ考えをめぐらすことができるのは、
なんと贅沢で豊かで心躍る体験か、ということ。

(上にあげた文章の、日本語訳の方には、
すでに、フエンテスでない人物[私]の思考が介入してしまっている。)

こんなことがあると、
翻訳や通訳という仕事の価値を、
翻訳や通訳の成果から恩恵を受けていることを、
日本語に変換されたことば自体の価値を、十分に意識したうえで、思う。
スペイン語を学んできてよかった。

母語以外の言語を学べば、世界は確実に広がる。確実に。

今度は、こういう面白さを味わえるようになるための、添え木を提供したい。



2012年4月14日土曜日

すずらん

あるラジオ番組で二人のギタリストのやりとりを聞いていたら、
きっと聞きまちがいだろうけれど、気に入ったフレーズがあった。

「すずらんは喜びに形が似ている」

2012年4月10日火曜日

ひだりの定義

何のために、こんなことばを辞書で引いたのか
数時間のうちにすっかり忘れてしまったが、
私の使っているカシオの電子辞書Ex-wordに入っている二つの辞書で
定義の仕方がこんなに違うのか!と驚いたのが「ひだり」。

『デジタル大辞泉』によれば
1.東に向いたとき北に当たる方。
大部分の人が、食事のとき茶碗を持つ側。
2.左方の手。ひだりて。
(以下略)

『明鏡国語辞典』によれば
①人体を対称線に沿って二分したとき、
心臓のある方。体の左側。
②「前後左右」で表される相対的方向の一つで、
①の方向。また、その方向にある場所。例えば、
話し手が北を向いたときに西に当たる方など。
(以下略)

北、東、西……ぐるぐると脳内磁針が回る。

ちなみに、スペイン王立アカデミー編纂のスペイン語辞書で
「左の(izquierdo, izquierda)」という形容詞の語義を見てみると
1.人間の体の部分について、心臓の側にある(例:左手、左目)
2.観察者(observador)の心臓と同じ側にある
(以下略)

またもや心臓。
心臓を基準に考えるなんて、人間中心の世界の見方のあらわれか!
と一瞬思ったけれど、
しかし「右」とか「左」という概念はそもそも、
目の前にいない相手に対して定義するのは難しく
辞書に載せられるほど遍く通用するような
「左」の概念の参照項を探した結果、
見つかったのが「心臓」だったのだろう。

面白くなってきたので電子辞書に戻って
オックスフォード現代英英辞典を見てみると
1.北を正面にした状態で西に向いている身体の側にある
(以下略)

……ひどくわかりにくいのは私の日本語訳のせいで、
原文はこの通り。
"on the side of your body which is towards the west
when you are facing north"


ものごとを立体的に捉えるのが苦手な頭にとっては
東だの北だの西だの言われるとそれだけで目が回り
犬が西むきゃ…ということわざが記憶によみがえる。

でもやはり、
「右」「左」の関係なんて、上下さかさまや裏表反対にすれば
すぐにひっくり返るような危ういものなのだから
自分の胸で四六時中動いている小さなポンプの位置を
手っ取り早い基準としてしまうより
地球と太陽の関係ぐらい大きなものを頼りに、
日の出から日の入りまで眺めて、こちらを東、こちらを西と呼ぶ
夜になって、空に北極星を見つけて、あちらを北と呼ぶ
これらの基準を基に、
こちらを右と呼び、こちらを左と呼ぶこととする
というぐらい慎重にしてもいいようにも思える。


2012年4月1日日曜日

1ero de abil (4月1日)

The next stop is Tokyo. The doors on the left side will open. Please change here for the Shinkansen, the Tokaido Line, the Yokosuka Line, the Sobu Line Rapid Service, the Keiyo Line and the Marunouchi Subway line.

3月31日の晩、ときおり翌日のことを思い描きながら、山手線は大勢の乗客を乗せていつものルートを巡り続けた。特に乗り降りの多い駅は、東京、上野、池袋、新宿、渋谷、品川、そしてまた東京。毎日何度もぐるぐると終わりのない輪を描いて走るのは、どうも気が滅入る。せめて始発駅と終着駅がはっきりしていればもっと達成感がありそうなのに。ほかの路線がうらやましい。しかし、ほかの路線にいわせれば、それは贅沢な悩みだった。一国の首都の、それも中心部にある重要な駅をつないで大勢の乗客を運び、生活を、経済を、滞りなく循環させていることも、始発駅や終着駅に長く停車して時間を無駄にすることなくいつも働いていることも、誇りに思って然るべきだ。ほかのだれもがそう考えた。

それでも山手線はくたびれていた。朝と晩のラッシュアワーが最も苦手だった。混み具合は年々ひどくなる一方で、ぎゅうぎゅうの車内に乗り込んでくる乗客たちの諦めと覚悟の入り混じったような、表情をころした顔を見るのもいやだったし、少しでも電車が遅れただけで駅員が怒鳴りつけられるのを聞くもいやだった。しかも、気を散らせて事故を起こしてはいけないと思って、駅の案内板に貼られた展覧会のポスターを見るというささやかな楽しみも、車内の吊り広告や、ドアの上に設置された小さな画面で流されるニュースや英会話番組を眺めるという気晴らしも、混んだ時間帯には控えることにしていた。

しかし何より、混んだ車内では会話をする人がほとんどいないのがつまらなかった。山手線にとって、車内で聞こえる会話は、外の世界を知るための貴重な情報源だった。車内に吊り下げられている週刊誌の広告や小さな画面で流されるニュースを見ていれば、世の中でどんなことが起きているのか少しは見当がついたが、取り上げられるのはごく限られた種類の話題だけだったし、どこまで真実が伝えられているのかもわからない。しかも、ひどく揺れたあの日以来、ニュースの画面に映画のような内容がうつることもあった。それで、どうにかして外のことをもっと知りたい、と、話し声の聞こえるときにはできるだけ耳を澄ましていた。けれども、体を動かす隙間もないほど混んだ時間帯に車内で聞こえる音といえば、電車自体のたてる音か、ヘッドホンから漏れて聞こえる音楽か、抑えた咳払いぐらいしかない。だから、よけいに憂鬱だ。

とは言え、今夜は、普段に比べればいくらかマシな気分だった。明日を楽しみにしていたからだ。これまでに聞いた会話の断片をつなぎ合わせると、4月1日というのは、ちょっとドキっとするような嘘や冗談でも笑って済まされるという特別な日であるらしい。この推測がたしかなものであると確信した去年から、山手線は、自分も何かやってみようと企んでいた。たとえば、車内で流れるアナウンスに手をくわえること。録音されたアナウンスは、毎日同じだから、味気ない。でも混んでいるときはピリピリしている人が多いから、空いているお昼過ぎにしておこう。大ごとにならないように、聴いている人の少ない英語のほうが無難かもしれない。何人か、気づいてくれる人がいればいい。でも一体、どこをどう変えたら、気が利いているだろう。

翌日の昼過ぎになっても、いいアイディアはまだ見つからなかった。いつも詰めが甘いんだ。そもそも、僕は声を出せないじゃないか。再生するアナウンスを途中で止めたりつなぎ合わせたりするぐらいならできそうだけど、それで何か面白いことができるだろうか。

The next stop is Tokyo. あああ、また東京駅か。ここで降りる人たちはあちこちへ移動していくのに、僕はまたぐるっと次の一巡に入るってわけだ。そう思った次の瞬間、聞こえたのは、Please change…  今だ!山手線は、アナウンスを急いで止めた。変えてください。でも、その先に何をつなげればいいかわからない。どうしよう、ふつうに続けるしかないか、ちっとも面白くないけれど、しょうがない。そのとき、ある乗客の膝の上で荷物がかすかに揺れ、か細い子猫の声が車内に響いた。ミー。Please change me. ことばがつながった。変えてください、僕を。そこで山手線は咄嗟に続けた。to prevent an accident. 事故を防ぐために。Please change me to prevent an accident.  僕を変えてください、事故を防ぐために。それはもはやジョークではなく、ぎりぎりの状態にあった山手線の、必死の訴えだった。

それでも、山手線は、東京駅を出るといつものように神田駅に到着し、神田の次は秋葉原に、その次は御徒町に止まった。次は上野。ぼくは所詮東京の中でぐるぐる回っているしかないんだ。山手線は、少しずつ気持ちの整理をつけようとしていた。

ところが、彼の気づかないところであの叫びを聞き取った乗客たちがいた。それを、また別の人に伝えた人がいた。駅員に伝えた人もいた。少しは東京の外に出るのもいいだろう、と、たくさんの人たちが共感した。彼らは動いた。

上野駅の宇都宮線のホームで電車を待っていた人たちは、そこに山手線が入ってきたのを見て少し驚いたが、東京にしては珍しく思いきった4月1日の冗談だろうと見当をつけ、面白がって乗る人は乗りこみ、いつもの車両でないと安心できない人は次の電車をおとなしく待った。

上野駅を出たところで、山手線は、自分がいつもと違う線路の上を走っていることにようやく気づいた。延々と循環する、いびつな輪から、ついに解き放たれたのだ。線路は、北の方角に向かって伸びていた。車内で交わされる会話の響きが少しずつ変化していくのに耳を澄まし、初めて見る外の景色に目を凝らしながら、山手線は一駅、また一駅と、北上していく。

(2011年8月)

2012年3月31日土曜日

門内幸恵さんの絵画展

2005年メキシコ留学以来の大切な友人である
画家・門内幸恵さんの絵画展が、
明治大学のGallery Zeroで、始まりました。

「エッセンスに向かって ―絵から文へ、文から絵へ―」と題して、
<文章のために彼女が描いた「挿画」と
 彼女の絵に触発されて書かれた「挿文」を並べて展示する>という企画です。

主催は、2008年から2010年にかけて
ANA機内紙「翼の王国」の連載小説『旅する理由』で
幸恵さんとコラボレートしていた、作家・翻訳家の旦敬介さんの研究室。

2011年同誌の連載小説、
六月まどかさんの『あるこほーるの夢』の挿画も、
幸恵さんが手がけていたとのこと。

展覧会の協力は、「翼の王国」、そして
くぼたのぞみさん、六月まどかさん、温又柔さん、旦敬介さんと、私。

昨年、私が二度にわたって参加した詩の朗読イベント「ことばのポトラック 」
(第1回:3月に開催/第3回「ことばの橋を渡って」:7月に開催、
 いずれもサラヴァ東京)で詩を読んだ際には、
読み上げるテキストの「表紙」として掲げるべく、
幸恵さんに依頼して、素敵な絵をおくってもらいました。

(ちなみに、「ことばの橋を渡って」に参加し温又柔さんと
そして「ことばのポトラック」すべての撮影を手掛けている大川景子さんが
この「表紙」の絵に気づいて、ことばをかけてくれたことを思い出します)


絵画展の会期は3月31日から4月26日。
公式のお知らせや会場へのアクセスは、以下のページで見られます。

4月13日(金)の17時半~18時半には、ギャラリートークもあるそうです。


2012年2月12日日曜日

フリオと詩

MsWord2010の漢字変換が、なぜか、
ふだん自分がなじまないビジネス用語風になりがちだ
と、ちょっと前まで思っていた。

このヴァージョンのWordは、
使う人の語彙を学習するのではなくて、
あくまでもビジネス用語中心の頭脳を備えているのか。

そう疑ってみたくもなったけれど、

それはきっと、
2011年3月に故障寸前のPCを買い換えてから今年の年明けごろまでは、
自分が日本語を打つ分量があまり多くなかったためだったのだろう。

今日になって、そう思い当った。
そのきっかけは、この機械が、明らかにふつうでない変換をしたこと。

「ふりおとし」(振り落とし)と打ったらば、
「フリオと詩」と変換された。

ある本の題名をも連想させるような誤変換(ちょっと短いけれど)。

機械は、ちゃんと学習していた。

連想を飛躍させれば、
こちらが話しかければ話しかけるほどことばを覚える、幼子のようだ。




2011年11月20日日曜日

Periodico de Poesia, 2011年11月号

詩人のPedro Serrano氏が編集主幹をつとめていらっしゃる
UNAM(国立メキシコ自治大学)のオンライン詩誌
Periódico de Poesía, n. 44(2011年11月号)に

古川日出男さんの「赦されるために」のスペイン語訳
 (共訳者:Ken Hashimoto Mendoza)と、

古川さんの文章の原文が収録されたアンソロジー
『ろうそくの炎がささやく言葉』(勁草書房、2011年)
について書いた文章を掲載していただきました。



2011年8月31日水曜日

あああ古川さんの映像が見られる…

7月9日、Saravah東京で行われた古川日出男さんの
ステージ(と、くくっていいのか、ご本人は「イベント」とおっしゃっていました)
「東へ北へ」のもようが、一部、Youtubeで見られるようになりました。

お知らせをいただいて、
あああ、と、ことばにならない声をあげてしまいました。

つい先日も、夜に湯をざばざば浴びながら
あのメロディー
 (『新潮』に発表された
 「馬たちよ、それでも光は無垢で」
 を読んでまず、存在を知った、あのメロディー)
を無言で思い出していたところでした。

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古川日出男×小島ケイタニーラブ「東へ北へ」20110709@SARAVAH東京

http://www.youtube.com/watch?v=xB5TJxWz95Y

古川日出男×黒田育世×松本じろ「東へ北へ」20110709@SARAVAH東京
http://www.youtube.com/watch?v=SEP1S4YCaoU&feature=related

古川日出男×黒田育世×松本じろ×小島ケイタニーラブ「東へ北へ」20110709@SARAVAH東京
http://www.youtube.com/watch?v=_bEp4h2hWY8
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2011年8月24日水曜日

ろうそくの灯が一つでもあれば

2011年8月8日、勁草書房から
管啓次郎・野崎歓編『ろうそくの炎がささやく言葉』という
詩や短編のアンソロジーが刊行されました。

大切に、大切に、
しずかに読んで、声におこして読んで、
何度でも読み返したい本です。

私がはじめてこのアンソロジーにおさめられた作品を「読んだ」のは
刊行に先だっておこなわれた朗読会のときでした。

実際には、「読んだ」のではなく、朗読を「聞いた」のが、
このアンソロジーの「読書」体験の幕開けでした。
6月末の、ある夜のこと。(表参道にて)

ふんわりといい香りのする、ちらちら揺れるろうそくの光を受けて
声に出され、耳から「聞く」ことばは、
驚くまでに鮮やかで生き生きとしたイメージの広がりを可能にし、
同じ空間(朗読会の会場)が、
「読む」ひと(作者・詩人)の声によってまるで異なる場所になってしまう、
強烈な、穏やかな、刺激的な、幸せな夜でした。

このような強烈な「予・読書」をした後、
8月に本が手元に届き、こんどはひとりで、黙って、文字として読みました。
そして次に、作者以外の読み手の朗読で「聞く」、という体験をしました。(札幌にて)
ついで先日、作者および訳者のかたがた、それから装丁を手掛けたかたの朗読で「聞く」
という体験をしました。(青山にて)

さて、家に帰って、改めて本を開くと、
アンソロジーに収められた作品のかずかずが
まるで、小さいころに
何度もくり返し読んだ絵本だとか
何度もくり返し歌ったうたのように、
とても親しい、大切なことばとして、身にしみこんでいることに気づきました。

この現象、というか、出来事というのか、
このことについて、頭で理解し説明するのが難しいのですが

執筆者のかたがたが、
震災と津波と事故をおもい、2011年初夏の日本の状況を前にし、
それぞれの仕方で、ことばをつづった、
そのことばの書かれた状況の強度、あるいは緊張感、とでもいえるようなもの
(それを越えたところで文章が書かれ、文字となり、印刷されたということ)が、
きっかけになって起こったことなのでしょうか。


その昔(と言っても、地球の歴史からすればつい最近)
印刷術が発達していなかったころ、
本は「聞く」ものだったということ、

ちいさいころ、まだことばもほとんどわからず、
ましてや文字など読めなかったころ、
本は「聞く」ものだったということ、

ある場所にろうそくが一本あり、
その灯りに照らされて本を「読む」声があれば、
その作品の「灯り」をうけとる人は無数に開かれているということ。

いろいろなことを考えながら、
今夜ももういちど、ページを開いてみたいアンソロジーです。

長くなりますが、以下に、執筆者とタイトルをうつしておきます。
(勁草書房ホームページより引用、

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ろうそくがともされた[谷川俊太郎]

赦(ゆる)されるために[古川日出男]

片方の靴[新井高子]

ヨウカイだもの[中村和恵]

ワタナベさん[中村和恵]

わたしを読んでください。[関口涼子]

白い闇のほうへ[岬多可子]

今回の震災に記憶の地層を揺さぶられて[細見和之]

祈りの夜[山崎佳代子]

帰りたい理由[鄭暎惠]

ジャン・ポーラン よき夕べ[笠間直穂子訳]

哀しみの井戸[根本美作子]

文字たちの輪舞(ロンド)[石井洋二郎]

マグニチュード[ミシェル・ドゥギー/西山雄二訳]

エミリー・ディキンソン (ひとつの心が…)[柴田元幸訳]

インフルエンザ[スチュアート・ダイベック/柴田元幸訳]

この まちで[ぱくきょんみ]

箱のはなし[明川哲也]

ローエングリンのビニール傘[田内志文]

あらゆるものにまちがったラベルのついた王国[エイミー・ベンダー/管啓次郎訳]

ピアノのそばで[林巧]

めいのレッスン[小沼純一]

語りかける、優しいことば──ペローの「昔話」[工藤庸子]

しろねこ[エリザベス・マッケンジー/管啓次郎訳]

月夜のくだもの[文月悠光]

樹のために──カリン・ボイエの詩によせて[冨原眞弓]

天文台クリニック[堀江敏幸]

地震育ち[野崎歓]

日本の四季[ジャン=フィリップ・トゥーサン/野崎歓訳]

フルートの話[旦敬介]

川が川に戻る最初の日[管啓次郎]

あとがき

写真家、装幀家より[新井卓/岡澤理奈]
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2011年8月20日土曜日

「取扱説明書」

無機質な文章のはずなのに、
そこに勝手に(誤って)感情を読みとって、ぎくっとした。


 「傷ついた電源コードを使用しないでください。」




1999年、2011年

佐藤雅彦さんの『毎月新聞』(毎日新聞社、2003年)を
久しぶりに手にとって、ぱらり、ぱらりと読んでいたら

7, 8 年前には読み飛ばしていたであろう箇所に、ぐいっとひきとめられました。
引用します。

 ----------------------------------------------------------------------------
僕はその日、雑誌の対談でひとりの経済学者の方と食事を共にしました。
 その著名な経済学者は、にこにこしながら、まずこう切り出したのです。

  「佐藤さん、エコノミクス(=経済学)って、元々どういう意味なのか、
 想像できますか」

  【中略】
 
 それは2年半も前の出来事でした。
 そして、僕の答えを楽しそうに待っているその人とは、
 その頃すでに気鋭の経済学者として注目されていた竹中平蔵さんでありました。

 竹中さんは続けました。
 「エコノミクスって、ギリシャ語のオイコノミックスという言葉からきているんです。
 オイコノミックスとはどういう意味かと言いますと、共同体のあり方という意味なんですよ。
 
 『共同体のあり方』、僕はその一言に打ちのめされ、少なからぬ感動も覚えた。
 
 「自分が個人として、どうしたら幸せになれるか」という事ではなく、

 「自分を含めた私たちみんなが幸せになるためには、
 私たち共同体はどうあるべきなのか」
 を追求する学問がエコノミクス、つまり経済学の始まりであったわけなのだ。

(佐藤雅彦『毎月新聞』第14号、1999年12月15日発行、
 『毎月新聞』単行本 p. 34より引用。中略、改行は引用者)
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この引用の後には、消費税の大義を論じる箇所が出てきて
(当時は故・小渕氏の自自公連立政権下)
そこは、どんなものだろう、と、個人的には納得しきれないのですが、


1999年12月15日に佐藤雅彦さんが発表した文章を
「経済」というものの意味を、根底から問い直したくなる
2011年の夏に、東京で、読み返したときに、
ここで引用した箇所のうしろのあたりが、ずしんと響きました。


2011年6月23日木曜日

comunicar, pensar y sentir

マリオ・バルガス=リョサ氏の講演(6月22日)を聴きに行きました。

そのうちどこかで講演全文の訳を読めるようになるのでは?
と、勝手に期待しているのですが、
まずは書き取れた範囲で、自分にとって「響いた」ことばをいくつか抜き書きします。


―文学(literatura)が娯楽(diversión)であるという考えには賛同しない、
文学は、わたしたちの生き方(vida)に痕跡・影響(huella)を残すもの。

人間には、ことばという授かりもの(el don de la palabra)がある。
ことばによって可能になるのは、
・伝えること(comunicar)。
 細かいニュアンス(matices)も表現し相手に伝えるにはその言語を使いこなすことが必要
・考えること(pensar)。より明晰に(con claridad)考えること。
・感じること(sentir)。より深いかたちで、感じること。


―民主主義(democracia)は、
社会のシステムとして最良のものではないが、
それでも、不正・不当さの度合いが最もすくない選択肢である。

民主主義社会が機能するために
自由で独立した個々人(individuos libres e independientes)に求められるのは
参加すること(participación)、
批判精神(espíritu crítico)を持つこと。

文学は、現実の世界は
わたしたちが想像することのできる世界よりも
ずっと下(está por debajo de...)にあるということを、教えてくれ、
いまある現実のものごとに対して、安易に従わない態度(inconformidad)
をとることを可能にする。

すべての独裁的な権力(dictadura)は
「いまの生き方(la vida)は、あるがままでよく、 なにも変える必要がない」
と信じ込ませようとするものだが
文学は、それが偽り(falso )であることを、わたしたちに気づかせてくれる。


2011年4月8日金曜日

竹

私があこがれる強さとは どんなものか?
はっと浮かんだイメージが、竹だ。

しなやかで、逞しい。
地面の中では、隣の竹や遠くの竹ともしっかりと結び合い、
結果として、土を支える芯の網を張り巡らし、
風を受ける部分では、
太陽に向けてまっすぐに伸び、青く瑞々しく、
しゅっとした葉をさらさらとたなびかせる。

その体は、笛にもなり、かごにもなり、
それどころではなく、よろづのことに使うことができ、
ときに、
おじいさんおばあさんのところへ月より遣わされた姫の
仮ずまいにさえ、なる。


2011年4月7日木曜日

「音と言葉と身体の景色」3月27日 (3)

今朝にひき続き、
「音と言葉と身体の景色 vol. 6」について。

書かずにいられないのは、
原発の事故が起きてから、いま強く感じている、やり場のない気持ちと
先日上演された第二作目、『椅子と伝説』に
ひびきあうところがあったため。

不条理演劇が書かれ上演されるのは
人間の社会に、現実に、不条理なことが起きるからなんじゃないか、
(乱暴な言い方をすれば) そう、客席で思った。

しかも、
作品の前半では、
いわれのない疑いを向けられた「男」と、彼を糾弾する者たちのやりとりが中心で
「男」に対して、「なぜ、こうやって切り返さないのか」と
(無駄とは知りながら)念じたりする余裕が、いくらか、あったのが
後半、
舞台上の「虚構」と、客席にいる自分の「現実」が、くっきりとつながってしまって
めまいがする思いだった。

「俺の目を刺したのは、だれだ」
「何故、止めなかった」

「そんなことが起きるなんて、思わなかったんだ」

「責任逃れをするわけじゃないんだ、
しかし、殺すつもりはなかったんだ」

(台詞は、私の記憶のなかで変化してしまっているかもしれません)

危害を加えるつもりはなかったのに、
そんなことが起きるなんて予想もしていなかったのに、
受動的な、無自覚的な、加害者となってしまうこと、
その、やりきれなさ。
舞台上ではなく、それが現実にも、起きていることに。

舞台は一旦終わるが、現実はここにある。



以下は、私と同じように、初めて公演を見た人たちへ。
「身体の景色」のページに、謎の、「ワンピースの女」についての
ヒントかもしれない、と思う記述を見つけました。

「音と言葉と身体の景色」3月27日 (2)

先日(4月2日)の続きです。

要するに、
『舞え舞えかたつむり』はたいへんなテーマを扱ったもので、
見るのに相当のエネルギーが要りましたが
それでも見に行ってよかった、と思うのは、

まず、私にとってあの舞台が、
「こたえ」ではなくて、「問い」を発するものだったから、
なのだと思います。

 「いま必要なのは
  断言することばではなく、問いかけることばだ」

と言ったのは、誰だったか、、、
(ごく最近、日本語の音として聞いたのかもしれないし、
あるいは少し前に、スペイン語の文字として目にしたのかもしれません…)

それから、深刻な主題、深刻な展開を、真剣に追って見ていると
「脳が緊張状態になっている」ような感覚を持つのですが
あの舞台では、
深刻な中に突然、可笑しなひとが出てきたり、
可笑しな動きが混ざったり、
場違いな懐メロがかかったりして
(しかも、BGMとしてかかるのじゃなくて、音楽が役者を動かし・躍らせ舞台を支配する)
一瞬 「え!」 と思い、
それから、ふっと、脳と全身の緊張が解けて
全身ガチガチになりかけて(おそらく、登場人物に自分を同化しすぎて)いたのが
外から見ているちょっと冷静な感覚を取り戻せる。
それで、問いは受け止め、かつ、打ちのめされずに、いられる、のか。

なんだか、考えすぎのようですが
一作目については、こんなことを考えました。




2011年4月2日土曜日

「音と言葉と身体の景色」3月27日

3月27日、「ことばのポトラック」の会場を出たあとに
日暮里へ、「音と言葉と身体の景色」の演劇を見に行きました。
「身体の景色」の岡野さんと共に演出を手掛けた田中君、
誘ってくれて、ありがとう。おかげで見逃さずにすみました。

別役実さん原作の戯曲の二本立て、
濃い一時間半でした。

作品の"意味" を理解しようとしなくても、いいんだ、という声もありますが
私が思うには、投げかけられているものを見過ごしたらもったいない、
ただ、唯一の正解としての"みせる側の意図" に迫ろうとするような見方ではなくて
観客席で見ていた自分にとって、そのとき、その場で、どんな意味がうまれたのか
ということを観察したり、そこからあれこれ考えをめぐらせたりすることが
作品を、しかと受け止めることになるのじゃないか。

そのようなスタンスで、
以下、田中君に宛てたコメントのようなつもりで
作品を見た私に生じたあれこれを書いてみます。
(見てからほぼ一週間経った今も、
 まだ 頭のなかの"濁り" のようなものが澄み切らないのですが)

まず今夜は、一作目について。

・『舞え舞えかたつむり』

実際に起きた殺人事件を題材にした作品ということで
はじめ、少し身構えてしまいました。
生身の人間が生きた苦しみ、痛み、悲しみを、
第三者が「作品」として取り上げ、演じて、また別の人に見せる、というのは、
生半可な覚悟ではできないことだと思うから。

けれど、
夫を殺した妻のことばが、
取調官の口からも、
そして殺された夫か警官かはたまた蠅なのか判然としないおかしな男の口からも出てきて、
声に重なる声が錯綜し、
調書を印刷した紙がばらまかれ、錯綜し、並べられ、また錯綜するのを見、聞き、するなかで

始まる前に自分が感じていた "気おくれ"あるいは警戒心のようなものは、拭い去られました。
舞台から、問い のようなものが、次々と、発せられているように感じたから。

警察官が調べて跡付ける「事件の動機」に対する
無機質な文章として書かれるような「事件の筋書」に対する
そうした筋道をつけて「動機を解明する」ことそのものに対する
強力な問い
 それで、何が晴れる?
 そんな問いは、"調べられて" いる本人が、
何度も何度も何度も繰り返したことなのに、
 それを第三者が問うて、
 手に入る手がかりだけを基に、解釈をひねり出して、どうなる?
また、
 誰が "当事者"なのか?
あるいは、
 誰が"当事者でない"のか?
つまり、
 どんな人間が、あのような絶望を前に、耐えることができるのか?
 理由がわからないことに対して、頭を抱えたのは、誰なのか?
 「なぜ殺害を思い立ったのか」、「いつ」、と問いかけているのは、誰なのか?
そして、
 答えているのは、誰なのか?
また、
 「真相」の解明など、誰にできるのか?
そもそも、
 唯一の「真相」 があるという考えも、虚構なのじゃないか、、、?

(第二作『椅子と伝説』 に続く予定)







2011年3月28日月曜日

「ことばのポトラック」

昨日(3月27日)、渋谷のサラヴァ東京にて、
大竹昭子さん主催の「ことばのポトラック」に参加する機会をいただきました。

事前の案内には、以下のようなことばが綴られていました。
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地震被害による悲しみと不安を突破するのに、いま私たちの心が欲しているのは、情報や状況説明以上に、心を強くしてくれる詩の「ことば」のように思います。緊急に詩人、歌人、作家、歌手の方々が「ことば」をもちよる「ことばのポトラック」を企画しました。さいわい、短時間のうちに多くの方が出演を名乗りでてくださいました。自作詩、翻訳詩、短歌、歌唱など、さまざまなかたちの凝縮した「ことば」を身に浴びて、心の灯をともしましょう。家でひとりで妄想にかられて不安がるより、いまを生きる力をシェアしあう場を!という思いを込めた<カタリココ>番外編です。
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(http://katarikoko.blog40.fc2.com/ より転載)

「同じことばも、震災の起こる前と後では、違った意味を持って響く」
「どのことばを読んでも、震災と関係を持たないものはない」
という意識が、多くの参加者の方々
 (紛れ込んでいた自分以外は、普段活字でしかお目にかかることのできないような
 まぶしいほどのメンバーでした) の間で共有されていましたが
自分も共感を覚えています。

そして
郡山がご出身の古川日出男さんのお話、そして『聖家族』より「馬」の朗読
(つきささるような)
を聞いて、次のような思いを新たにしました。
 
私は、同じほど強い悲しみ、怒り、不安を、自分のものとして持っていない。
ゆえに
現時点で自分がもっとも誠実と思えることは
悲しみや怒りや不安を想像の上で、書き連ね、発信するのではなく、
しかし「自分には共有できない」とシャッターを下ろすのでもなく
悲しみと怒りと不安の声に(人間の、動物の、植物の、土地の、海の、空のそれに)
謙虚に、そして覚悟を決めて、耳を傾け目を開き続けることだ。
 
とくに、東京 トーキョー に暮らす自分が、
今、悲しみと怒りと不安の、ただなかにいるかたがたのおかげで
 (さっと思いつく限りでも、農業・畜産業・水産業・工業、そして発電において)
これまで便利な生活を送ってきたのであるのだから、なおさらそうだ。

そして何か発信できるとすれば、
それは自分が渦中にいる、トーキョーについて(に、向けて?)のことだ。

私はメキシコシティに、一年ずつ、二度にわたって留学生として暮らしていたことがある。
(奨学金をいただいて、食うに事欠かない生活をしていた者だから、
 また、外国人として暮らしていた者だから、
 現地の暮らしの、ほんの一端しか知っていないということは常に意識に留めておく必要がある、
 これは自戒として)
電車の本数が減り、駅や商店の照明が減り、銀行のシステムがダウンし、停電や断水が起き、
郵便や宅配システムの迅速さ確実さが失われ、24時間営業の商店は激減し、
そうしてみると大都市東京は、大都市メキシコシティと、似て見えた。
敢えて乱暴な言い方をすれば、
東京の異常なまでの便利さは、多くの人たち(と動物と植物と土地と海と空)の命と暮らしを
はかりしれない危険に晒すことによって、調達されていたものだったのか、と思われた。

愕然とし、恥ずかしく思った。
2011年3月11日以前の
東京の、トーキョーの 便利な、楽な、浪費の、冒涜的な、暮らしは、明らかに異常だった。
変だと思いながら、「そういうことになっているから」、とトーキョーの暮らしを享受してきたことに。

と言って、
ただ自責の念に苛まれていてもまったく役には立たないのは誰の目にも明らかだ。

気づかずにいたことに、気づいた今、
トーキョーに「償い」が可能であるとすれば、どのように、それができるのか。
「通常通りの営業」「通常通りの運行」
「通常通りの照明」「もとの通りの暮らし」への復旧をめざさないこと、
なぜなら、3月11日以前の東京の「通常」は、「異常」だったからだ。

「不便に耐えましょう」「苦しみを共有しましょう」ということではなくて、
何が本来の「正常」なのか「平常」なのか、考え直して
人間がもともと持っている、生きるためのたくましさを取り戻すことが
再び、異常な、依存型安楽生活にふらふらと引き寄せられていかないための、
再び、無自覚的な加害者にならないための、ひとつの方策なのではないかと思う。

2011年3月28日 南 映子