2009年11月7日土曜日

ことばとイメージ

イメージを呼び起こす力がやたらと強いことばがある。
「梅干し」。
うめぼし、と頭の中で発音しただけで、口の中が急に潤う。今もなった。

こどものころ、間違ったイメージ連鎖が起きていたことばがある。
給食の献立表にひらがなで書かれていた「ぶたじる」。
緑、黄色、紺の土星みたいな旗を思い浮かべていた。

久しぶりに目にして、
自分に起こる反応が鮮烈になっていたことばがある。
「シエラネバダ山脈」。

電車で読んでいた本に出てきた「シエラネバダ」の文字を見たら
眼前に わっ と雄大な白い山並みが広がり、清清しい空気が肺に届くよう。

Sierra はスペイン語で、「山脈」
Nevada は、「雪で覆われた」、「万年雪の」。

2009年11月5日木曜日

カーキ

「カーキ色」は、スペイン語でも caqui 。綴りは違うが響きは同じ。
一体何語からきてるのか?と思って電子辞書の一括検索で引いてみたら。

大辞泉によれば
「khaki は土ぼこりの意味で、もとはウルドゥー語」

明鏡国語辞典によれば、
「khakiはもともとヒンディー語で、土ぼこりの意」


だいたい地球のどのあたりから来たかはわかった。
はて、ウルドゥー語とヒンディー語の関係はどうだったか?

ブリタニカ国際大百科事典を見る。

ウルドゥー語が話されている地域は「インドのドアブ地方とその近隣、ならびにパキスタン」。
パキスタンでは公用語にも定められている。

「西ヒンディー語の一種として分類され、系統的にはインドの公用語ヒンディー語と近い」

とても近そうだ。しかし、

「ヒンディー語がサンスクリット語に語彙の多くを負うのに対し、
ウルドゥー語はペルシア語から多くの語を借用している。アラビア文字で書かれる。」

こうなると、ヒンディー語かウルドゥー語かで、だいぶ違う感じがする。

ところで「カーキ」が世界的な市民権を得たのは、場所から考えて、大英帝国の時代のことだろうか。
(カムフラージュ という言葉は、第一次世界大戦のころに広まったらしい)

兵隊の服やヘルメットを連想させるになる前の「カーキ」 つちぼこり という語は
どんなイメージを含んでいたのか、気になる。
しかも、土ぼこりが「茶色」ではなく、緑がかった色だというところも、気になる。

2009年11月4日水曜日

書き間違えるのは

手書きでノートをとっていても、おかしな変換ミスをすることがある。
スペースキーで漢字にするわけでもないのに。

「解毒剤」 という比喩が出てきたときに
わたしの手が書き留めたのは、「解読剤」。

解読と書いて 「げどく」 と読ませる力技をやってのけた。

そんなものがあったらいいなあ、という願望のあらわれなのだろうか。

2009年11月3日火曜日

ことばが気になる一日

国技館を地図で見て、
ふと「ああ、これは相撲館」という意味だな、と思った。
たとえば「雉の保護会」(あるかどうかは調べていない)を「国鳥保護会」というようなものか。

動物園には、動物がいる。
水族館にいるのは、水族?

「馬鹿につける薬はない」というけれど、もしもあれば、それは塗るタイプなんだろうか。

2009年11月2日月曜日

死者を思う日

11月2日は死者の日。

去年はメキシコで、花と家族で賑わうお墓に同伴したのだった。
お墓を囲んでピクニックをしている家族もあった。
穏やかに賑やかな、暖かいお墓参り風景だった。

その前の年の9月にはテネリフェ島で、
垂直に並んだ、色とりどりの花できれいに飾られた墓石の数々を見た。
特に何かのお祭りがあったのかどうかは、わからなかった。

現地に生まれ育ったアドは、
「死」はできれば近づきたくないもので、
墓地に足を踏み入れたことすらほとんどないと言っていた。

確かに、「死」には、できれば近づきたくない。
でも、「死」と「死者」は違う。

「死を思え」ということばがあるが、

漠然とした「死」ではなく、
この世に生きて、その生を終えた人たちのことを、思い出す夜にしよう。



Tenerife, 2007, foto por Yukie Monnai