2008年1月30日水曜日

曇り空と灯り

                     (2004年7月撮影)

うろこ雲と言えば秋のものかと思っていたら、
七月のノルウェーには苺もうろこ雲も同時にあった。
考えてみれば当たり前だが、
"常識" と同じで "季節感" も、世界中で通用する絶対のものなんてない。

ノルウェーに長く暮らしているひとが、
曇り空が多く冬が長いこの国では

人を招いたり家族で集まったりして少し洒落た食事をするときに、
家庭でもキャンドルの灯りを楽しむ習慣があると教えてくれた。
町の雑貨屋さんには、見ているだけで楽しくなるような、
色とりどり、
長さも形も様々なキャンドルが並んでいた。
滞在中、まだ薄明るい夜に
キャンドルにゆらりと照らされながら、
たっぷりの塩茹で海老とディルを乗せたパンをご馳走になった。



青空の日に撮った街灯の写真をよく見たら、電球が凝っていることに気づいた。
ただ明るくするためだったら、大きな電球をひとつポンと入れるだろう。
灯りを楽しむ土地ならではのことなのだろう。夜にも是非見てみたくなった。

2008年1月29日火曜日

湖のスキージャンプ

                (2004年7月撮影)

お昼すぎ、Vossの湖沿いを歩いていたら、遠くに巨大な鉄骨のオブジェが見えた。
かすかにこどもの声も聞こえてくる。
近づいてみると、それはスキージャンプの練習台だった。



ウェットスーツを着たこどもたちが7,8人並んでいて、
順番がくるとはしご段をのぼってスキー板を装着し、

すべり台の部分を勢いよくすべって、 ジャンプ、 着水。
湖岸には先輩格のお兄さんが待ち受けていて、浮き輪を投げて引き寄せる。
跳んだ子が岸に上がり終えると、次の子に合図。
なかでもChristianという子が上手らしく、彼の番になると掛け声がかかった。
その期待に応えるように、Christianはトントンとのぼると
悠然と構えて、すべり、ふっと跳び、くるくるとターンをし、きれいに着水した。
いつかスキージャンプの世界大会でChristianを見かけることになるだろうか。

2008年1月28日月曜日

野生の血

                 (2004年7月撮影)

あたたかくて手放せないダウンジャケットは、
歩くのに合わせてふさ、ふさ、と、フードについたファーが揺れる。
ノルウェーの夏猫は、自前のふさふさを備えていた。
これほど見事な毛皮がなければ、北国の冬を乗り切るのは大変なのだろう。
これが七月の姿だから、キツネやオコジョのように
冬には真っ白になるんじゃないか、と想像してしまう。

ふさふさの猫は、どこかおっとりして見えるが
フィヨルドの町Vossでは、ふさふさ猫が二匹、
野生の血を騒がせていた。

2008年1月27日日曜日

苺と娘

                  (2004年7月撮影)

苺はもともと春から初夏にかけての果物だと思っていたら

ノルウェーでは7月が旬だった。
果物屋の屋台がたちならぶ広場の脇の階段に、
誰かがさっそく食べたあとがあった。
すぐに食べたくなるのも無理ない。だってこんなに美味しそう。


苺といえば、あまずっぱくて可愛らしくて、
新品種の名前にしても"若い娘さん"というイメージがつよいのに
なぜ「草かんむりに母」なのかと思って考えていたら、
よくできた象形文字に見えてきた。

先日、南武線で小さな女の子とお母さんの可愛らしい会話を聞いた。
大きな駅で、たくさんの人が乗り込んできたのを見て
「わあ、こんなにいっぱい、電車さんおもくないかな、だいじょうぶかな?」
「たくさんごはんを食べてるから、大丈夫よ」
「そうかあ………。電車さんはなにをたべるの?……いちご?」

あの子は、苺を食べたら嬉しくて元気が出るのかもしれない。

2008年1月23日水曜日

順カンガルー散歩


ベルゲンの港をゆったりゆったり散歩する。
お父さんのがっしりした体にぴったりくくりつけられた赤ちゃんは
安心しきった様子で、とても心地よさそうだった。
ベビーカーからの眺めとは
景色がだいぶ違うことだろう。

                                        (撮影:2004年7月)

2008年1月22日火曜日

逆カンガルーハイキング

友人たちがベビーブームに沸いているのに因んで思い出した
2004年夏ノルウェーでの一コマ。
険しい岩だらけの道なのに、
こんな風に赤ちゃんを背負って登るお父さんをよく見た。

頭の部分もぬかりなく護られている。


大きな岩をいくつもいくつも踏み越えながら二時間以上登り続けただろうか、
その先では…


背中の赤ちゃんも、こんな景色をその眼で見ることができるのだった。
背中に揺られる道すがらどんなことを感じ、
その夜はどんな夢を見たのだろう。

2008年1月20日日曜日

ノルウェーの立て札



カモメ、そしてここ数日の寒空に、ノルウェーを回想する。
ノルウェーの看板は、細部がくっきりして影絵のよう。
ノルウェー語の入門書についている単語集を見ると、
Barnは「こども」, Lekerは「あそぶ」?, Kjørは「車を運転する」。
Forsiktigは載っていないが、「注意して」ということだろうか。



横断歩道の標識も、指先や靴までくっきり。
標識のデザインを決めた時代、外出時は帽子をかぶるものだったのか。
日本の歩行者用信号や「横断禁止」も同じ帽子だ。


撮ったときにはちっとも気づかなかったが、
右向に横断するバージョンと、左向きと、二種類あるらしい。
こうして二枚続けてみると
道を渡る途中でハッと忘れ物に気づき、引き返しているように見える。





その国の文化によって、禁止事項もいろいろだ。

2008年1月16日水曜日

とまりたくなる鳥たち

メキシコでの、とある情景を思い出した。
大学の文学部の入り口脇には、
古本やCDを売る出店がいつもたくさん並んでいる。
ある日、CDを売っているおばさんが本屋のおじさんに
王子の彫像とツバメの話があったわよね、あれは何だっけと言っていた。
オスカー・ワイルドの「幸福な王子」だった。

王子とツバメの組み合わせでなくても、
屋外に彫像があれば鳥は止まりたくなるようだ。
メキシコ独立戦争の勇士アジェンデ像は、
馬にも腕にも肩にも頭の上にも、そして剣の先まで、鳩だらけ。



ノルウェー南部の港町スタバンゲルで見たカモメは、
紳士と向きまで揃い、とっても満足そうな笑顔。


2008年1月15日火曜日

豪邸

探し物をしていたら、
スペイン語を勉強し始めて間もない頃のノートが出てきた。

パラパラめくってみると関係詞の課で赤を入れた訳文がおかしい。

Quiero comprar una casa, para lo que debo ahorrar mucho.
「私は、たくさん貯金しないと買えないような家を買いたい」
いったい、どんな願望だろうか。
ノートに自分で訂正してあるが、正しくは、
「私は家を買いたい。
そのために、たくさん貯金(倹約)しなければならない。」
話し手の人格も家のイメージもすっかり変わってしまうところだった。

2008年1月13日日曜日

失礼ですが…

先日、夜の電車で面白いことがあった。
久しぶりに会う友だちと大勢で美味しいものを食べた帰り道、

電車でもメキシコ人のホセとスペイン語日本語とりまぜてお喋りし、
途中の駅でホセをじゃあねと送り出してしばらくすると、
たまたま乗り合わせたおじいさんに声をかけられた。
「失礼ですが、さっきお話していたことばは…スペイン語ですか?」
聞けば、その方はお仕事でパリに三年ほど暮らしたことがあり、
今も外国語に興味があるとのこと。
三年前に亡くなった奥さまは、日本語の教員をなさっていたそうだ。
降りるまで一駅ちょっとの間だったけれど、思い出話や外国語の話など、
さっぱりとして温かみのある口調で話してくれた。

その方が降りた後も、なんだかあたたかい気分が続き、
自分の駅では階段を降りる足取りも軽く、家までうきうきと歩いて帰った。

2008年1月12日土曜日

解かれて初めて気づく謎

1853年、ペリーが浦賀に来航。
でも、なぜ浦賀?

そんなこと考えたこともなかった。

昨年12月6日にちらりと紹介した
エメェ・アンベールの『絵で見る幕末日本』講談社学術文庫)
の続きを久しぶりに読んでいたら、あっと思った。

「日本に来てみると、太平洋沿岸における海上貿易が欠如していることを痛感する。江戸湾に若干の帆船が航行しているが、かれらは決して外海には出ないで、浦賀あたりで荷物を下ろし、馬で、陸路、江戸に運んでいる。」

「われわれの軍艦が江戸に向かうことは、岸辺の漁船を除いて、ほかの船舶の注意を引かないばかりでなく、江戸の港が浅いため、市街から二マイルまたは三マイルも離れた全く人影のない所に投錨しなければならない。このような大きな距離では、軍艦の示威による効果も全くゼロになることは明白である。軍艦がいくら号砲を放っても、埠頭の岸辺を固めている砲台は返答もしないのである。江戸における公式の上陸は高輪地区のゴトバン(埠頭)だけで行なわれたが、ここには艀だけしか入ることができなかった。」
(ともに第14章「ヨーロッパの使節代表」より)

ペリーがもしも上陸場所を重視して艀で上陸していたら、
歴史は違ったかもしれない。



2008年1月10日木曜日

ようこそ日本へ

昨日、生まれも育ちもスペイン領カナリア諸島のテネリフェ島、
グルノーブル一年学び、フランス領ギアナで一年働いた友人が
三ヶ月の日本語研修のため、はるばる来日した。

Madrid、Frankfurtでの乗り継ぎに加えて時差もあり、
月曜に出たのに到着日はすでに水曜日。
やれやれようやくTokyo成田と思ったら、
それから語学学校と提携している寮の最寄り駅まで、
電車に揺られては乗り換え、また揺られては乗り換え。

車内広告を指差し「あそこに書いてある漢字、全部わかるの?」
「そりゃわかるよ」という私の答えに目を丸くしていた彼は
西武新宿線の上石神井駅に止まったときに
「あれは知ってる漢字だ!この駅は、ウエなんとかでしょう?」
「…カミシャクジイ…(よりによってこんな難しい読み方の駅)」
「でもあの漢字は、ウエじゃなかった?」
「ウエなんだけど、カミとも読むんだよ」
「なんでウエじゃないの?」
「漢字には何通りも読み方があるからねぇ…」

「こんなに平仮名がないとは思わなかった」と愕然としている姿を見て
アルファベット圏から漢字かなカナの国に来るのは冒険だと改めて思った。
読めなければ、辞書で引くことだってできない!
けれどその分、わかってきたときの面白さは大きいのだろうと思う。
ただの模様に見えていたものが突然意味を持った文字に見えるときの、
こどもの時以来の新鮮な面白さがたまらないという話も聞いたことがある。
刺激的な三ヶ月を過ごして行ってもらえるといい。



2008年1月7日月曜日

語呂考 6,4

すべての始まりは、あの遊びのあの文句だった。
「だるまさんがころんだ」
小学校の3,4年生になると、この遊びに
「インディアンのふんどし」というのがいつの間にか加わった。
地方ルールなんだろうか、鬼がこう言ったときには
ぴたっと静止する代わりにワサワサ動いていなくてはならない。
出所は?だるまさんとのつながりは?
10文字で6と4のリズムが「だるまさんが…」と同じで語呂がいいからか。
語呂と言えば、
日本語で心地よいリズムは5、7が基本かと思っていたけれど
6,4(特に3,3,4)も実は語呂がいいんじゃないだろうか。

いろいろ組み合わせてみると…

パン屋さんの愛弟子
交差点でばったり
雨の夜の落書き
よその家の屋根裏

母の日には菜の花
春の午後のミツバチ

いつの間にかふるさと

ふるさと と言えば
「ふるさと」も6,4(3,3,4)であることに思い至った。

志をはたして
いつの日にか帰らん




2008年1月5日土曜日

こどもも急に止まれない


テネリフェ島で見た通学路の標識。
学校の近くに住んでいる仲のいいお兄ちゃんと妹か。
学校から近い人ほど、朝ぎりぎりに家を出ているものだった。

日本の標識も同じくお兄ちゃんと妹か。しかしだいぶ年が小さい。
ゆっくり歩く姿がほのぼのとした感じ。

と思いきや、偶然のいたずらか、すさまじい表現力を備えた看板もあった。
ドライバーの背筋がきゅっと引き締まるに違いない。



工事現場の「立ち入り禁止」。
声をまったく使わずに、
見る人に一瞬で訴えかける力は、こちらも負けていない。

2008年1月3日木曜日

展覧会

メキシコ留学時以来の大切な友人であり
画家の、門内幸恵さんの参加するグループ展

"Zoologischer garten” が名古屋市で開かれています。

年明けの日程は1/4(金)~1/6(日)。

愛知芸術文化センター(←地図へ)
12F、アートスペースGにて。
(AM10:00~PM5:00)

幸恵さんの絵は緻密なタッチに、すりガラスのような透明感、
ファンタジーとも、
悲哀に満ちた物語とも、
恐ろしいおはなしとも読めるような、
初めて耳にする和音のような、不思議な魅力がある。

2008年1月1日火曜日

primer amanecer del año en Tokio


多摩の初日の空と、明けの明星。
おひさまが地平線から顔を出す瞬間は
建物のかげに隠れて残念ながら見られなかったけれど、
夜空のすそが橙色に染まり、
それが徐々に白い光にかわっていくのを眺めた。
ようやくおひさまの姿をこの目で見たのは、一時間後のこと。
空はすっかり朝の色だった。

今年もよい年になりますように。